お墓の形と歴史
日本には古く縄文の時代から死者を埋葬する習慣があり、弥生時代には甕棺・木棺・石棺などに納め、埋葬されるようになりました。さらに古墳時代には、仁徳天皇陵に代表されるような、権力者の巨大な古墳が造られるようになっています。
七世紀の大化の改新では「薄葬令」(はくそうれい)とよばれる詔が出されています。
この詔は葬儀や墓について、細かく身分事に定めたものです。
その後は鎌倉時代から室町時代にかけて、位牌と戒名が中国から伝わりました。その影響からか位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のものもつくられるようになりました。
江戸時代になると人々はいずれかの寺の檀家として登録させられるようになりました。
いわゆる「檀家制度」のはじまりです。
先祖に対する供養や葬儀、墓などの仏事が生活の中に定着し、庶民の仏教に対する信仰が確立したのはこの檀家制度に負うところが大きいのです。明治に入ると公園型の墓地が設けられるようになり、その後は次々に公園型の墓地がつくられるようになりました。
戦後の昭和二十三年にお墓に関する法律である「墓地埋葬等に関する法律」(墓埋法)が施行されます。民間が運営する霊園が開設されたのは、それから四年たった昭和二十七年のことです。
今日、人口の増加、核家族化などが墓地のニーズを大きく増やしています。人口の多い首都圏などでは墓地不足も叫ばれるようになり、このような事態に対処すべく、屋内墓地・霊園や壁墓地、あるいは納骨堂といった新たなお墓の形態も見受けられるようになりました。
特に目立つ近年の傾向としては、生前にお墓を建てる、いわゆる「寿陵」という形態が増えています。将来に備えて、未来の家族の住みかを確保するという意味合いもありますが、気に入った環境、立地、そして墓地のデザインが得られることが「寿陵」が増える大きな理由といえるでしょう。